パルコって渋谷にもあるんだ

 

 

池袋のパルコって、駅の近くにあるじゃないですか?

 

だからパルコ=池袋だったわけですよ。

開演三十分前に到着して、さぁてパルコ劇場は何階かな〜って思って検索したら、渋谷って出てきて、

ハッ?!えっ?!ってなりましたよね。

まあ、ちゃんと調べてなかった自分が悪すぎなんですけどね。

だから大急ぎで駅のホームに行ったけど、見ず知らずのパルコへ駅から徒歩で行くよりも、タクちゃんで連れてってもろた方が絶対早い!!と思って、

大急ぎで駅のホームから飛び出して、タクちゃんに乗りましたよね。

タクちゃん、ありがとう。

結局、開演十分後くらいに到着した気がする。

色んな方にごめんなさい。

 

 

 

 

そんな感じでパンフレットも読まずに始まったバードランド。

ボヘミアンラプソディーの救えないバージョンかな〜とか思ってたら、こっちの方がもっと拗らせていた!

フレディ〜さんが可愛く思えるほどであった。

 

ポールさんは確かにクソ野郎なんだけど、全然嫌いになれないタイプとゆーか、

んま〜身近にいたらウザくて二度と関わりたくないタイプなんやけど、第三者目線から見ると

なんだか苦しくて可哀想…みたいなみじめな感じで見てしまう。

 

うえぴーはずっと出っ放しで、いわゆる大衆の目に晒されているのだが、

それがまさに「消費されるポール」を体現しているようで痛々しくて、

たのむ!!いっぺん引っ込んで休んでくれ!!と何度も思った。笑

二時間くらいの中でポリポリと髪をかいたり、ため息をつくことも許されず

ずうっと演じ続けなければならない感じ

それは、コンサートでもそうなんだけど、今回は「そうして消費されていくポール」がテーマだったので

ポールさんがラリっていく度に、ごめんな!!なんか見ててごめんな!!ってめちゃめちゃ思った。

双眼鏡で見る必要はないけど双眼鏡で見れないわね。

カメラで写してたりしたけど、見れないわね。。

 

バードランドってバンド名じゃなかったんだ〜とかフワッフワしたことはどぉ〜でもよくて、

とにかくポールさんのぐちゃぐちゃした、沼でもない泥でもない、水でもない土でもない、得体のしれないどこかへ沈んでいくような、浮くような、なんともいえないラリ方が心配。笑

ジョニーやジェニーや、あらゆるひとのあらゆる感情がポールに突き刺さっていって、

ポールは確かにハリネズミのように周りをトゲトゲ痛めつけるけど、

ポールにとってはそのポールが何人もいるくらい痛みを受けているんじゃないか?とか

思ったりした。

 

だけどね〜〜あーゆーひと難しいよね。

 

 

 

 

 

 

 

パンフレットを読んでいて、わしは長い間思っていたけど口にしちゃいけないと思ってたけど、やっぱりみんなそう思うよね〜!と思ったことがある。

 

アーティストは大抵クズな部分があるとか。

苦しみの中からしかいい作品は生まれないとか。

 

俳優や音楽家とか、アニメーターとか、映画監督とか、美術家、スポーツマンとかが、不倫してた、クスリやってた、自己中心的で人間的に問題ありだとしても、その作品は魅力的だったりパフォーマンスも素晴らしかったりする。己の欲に忠実すぎるやつもあるけど。我々大衆は、その作品からなにかを感じで、何かを汲み取って、それを己の糧にして、明日からの日々の行動に反映される。そうしたら、たとえその人がどうであれ、なにをしたって、関係ないんじゃないか?その人と関わることのない我々にはどうだっていいことなんじゃないか?不倫しようがクスリをしようが、別にいいんじゃないか?それに、その人がそういう人生を歩んできたからこそ生まれた作品なら、その人生だって、過ごした環境だって有りなんじゃないか?と、思ったりする。

例えば

過去、壮絶な経験を経て、立ち直ったという音楽家がいる。

その音楽家が作る音楽がめちゃ胸を打つ音楽で、誰かの人生を変えたんなら、

その壮絶な経験は、必要だったんじゃないかと思ったりする。

そして、そのひとそのものが一種の作品なんじゃないかと思ったりする。

 

いじめはなくならない。

貧困もなくならない。

戦争も、なくならない。

 

なぜか?

不謹慎でスピリチュアルなことは、書かないことにする。

 

 

パンフレットではポールはこのあとどうなったのか?というコラム?があったが

わしは何となくそこは考える気にはなれない

あの場面で「バードランド」とゆー戯曲は終了して、

登場人物全てがいなくなってしまった気がするから

 

 

 

いや〜

それにしてもなかなか苦しい舞台だったな〜

もう目を逸らしたくなったとき、

うえぴーは足が長いなぁ〜

顔もいけめんだなぁ〜

安達さん、セクシー可愛いだな〜

玉置さん、癒されるな〜

 

とか、思ってました。

 

あと、次から会場はちゃんと調べることにする。

 

まさかのアリーナ一列の記録

かつんさんのコンサートは、何回か行ってるけど、ぜーんぶスタンド!

一回だけ、エキサイティングシートみたいな、アリーナだかスタンドだか微妙なとこに入ったけど、それ以外はぜーんぶスタンド!

なので今回も、なんの期待も疑いもなく、スタンドなのだろうと思っていた。

ら!

まさかのアリーナ!

一列!

 

えっ!

なんで?!ええの?!

 

入場時間が決まっていて、開演まで一時間あるので、寝て待っていようと思っていたけど、胃が痛くって、とてもじゃないけど寝られなかった笑

 

コロナ対策のため席もゆったり、こんなに落ち着いて、こんなに目の前で見られるなんて、もう一生ないであろう…。と思った。

 

で!

ついに始まった。

予想以上に近い!顔立ちもよく見える!うえぴーの血管もよく見える!え、かっこいい〜!え、近い〜!え、かっこいい〜!え、スタイルいい〜!が渋滞して、なんの歌も記憶にない( ˘ω˘ )

とにかく必死にうえぴーを追いかけまくる。

 

いつもバクステでやるときは、「来た来た〜」という気持ちなのだが、今回ばかりは「行ってしもたぁ〜」とゆー気持ちになる。思いがけず背中を見つめる。でも!この距離感!この感じ!貴重!たとえ米粒の如く小さくなって見えなくなってしまっても、その背中を見つめる。

 

でも、一回ふとメインステージを見たときに、照明も当たらない中Jr.が踊っていて、衝撃を受けて、「頑張るんやで!!応援しとるで!!」と思って、かつんさんはそっちのけで、Jr.くんを見続けていた。ら、後ろの花道からうえぴーが現れて、ああ〜!!!と思ったりした笑

 

 

そして、かつんさんのお家芸、炎。

しょっぱなのリアフェから出まくるんやけど、出る度にぷしゅーぷしゅーと音がする。スモークも出るので、ぷしゅーぷしゅーのオンパレード。まるでショーを見ているよう。いや、ショーなんやけど。人的な操作を感じるというか、作り上げてる感があるというか。そーゆーの大好きなんですけどね!なので、めちゃテンション上がるし、こーゆー体験もこの場所でしか出来んけん!しっかり味わな!みたいな感じになる。

そして、カメラさんが、よく出没する。わしの目の前で、うえぴーがスタンバイするんやけど、同時にわしの目の前に、カメラさんもスタンバイする笑。そして、うえぴーが歌い始めると、カメラの赤いランプが光る。お、今きっと、スクリーンに映し出されとるんや!頼むで!いけめんに映してくれよ!うえぴーが歌い終わると、ランプが消えて、カメラさんはそそくさと捌ける。いやあ、鮮やか…。心の中で拍手する。

 

desireの途中、大量のスタッフさんが目の前に並ぶ。ん、なんや?なんや?と思ったら、あの白いボールが投げ渡される。ひとつとして落とさずキャッチ。周囲から、「おお〜」という小さな歓声が笑。そしてやっぱり、鮮やかに捌ける。

 

かつんさんたちは、バクステに行く時とか、花道の下をトロッコ?かスケボー?みたいなやつで移動するみたいやけど、その凄まじい音が聞こえた。ガラガラガラ〜ッ!とゆー、急いでます!みたいな音がして、なんや?と思ったら、花道からにょきにょき出てきた。いやほんと、分刻みにスケジューリングされとるんやろうなあ。段取りとか…なんか上手く言えないけど、仕事してるかつんさんとゆー感じがした。

 

あと何でか知らないけど、わしの周りはよく、亀ファンで固められる笑。今回も見渡す限り亀梨くんのうちわ。で、亀梨くんのお手振りを、間近で見る。お、俺のウチワめっちゃあるやん。みたいな、ヨユ〜のお手振り…颯爽としていてカッコイイ…。

うえぴーと中丸くんは、サラーっと通り過ぎてった。あー、わしがうえぴーのウチワを持っていればもしかしたら…!!と思ったけど、持ってないものはしょうがない。

中丸くんは湿気のせいか髪がくるくる。そして、意外と背が高い。そして、やっぱり真顔。でも、ソロのとき、最後に「心、いつもつないで」と歌ったあとの、わずかな微笑みが忘れられない。

 

あとJr.くんたちのファンサがすごい。名前も知らんのに手を振るのが気が引けて全然手ぇ振れんかったけど、あの笑顔。あの丁寧なファンサ。きみらのこと、知らんくてごめんな。と思った。

 

んで肝心のうえぴーやけどあんなに見たくせにもう何してたかほとんど記憶にない笑

でもシュッとしててかっこよかった。ただただ、いけめんだった。表情や仕草の、野生的な、挑発的な、でもちょっと繊細な色気がとっても素敵。胸元ガバーッ!と開いたやつより、Roarのちょっとした腹チラが、ほんとぉ〜にドキドキした( ˘ω˘ )

 

 

そんな感じの!

久々のコンサートで、まさかのアリーナで、天気は雨で最悪やったけど、サイコ〜に楽しかったです!

 

 

夢はみーんな消えて、アワになるのか?

ゼルダの伝説 夢をみる島 をプレイした。

前置きはなしだ。

ネタバレからだ。

 

 

コホリント島とゆーところに、主人公リンクくんは流れ着くのだが、島そのものが「かぜのさかな」が見ている夢だった。リンクが外に出るためには、かぜのさかなに目を覚ましてもらわないといけない。だが、目を覚ますということは、コホリント島が消えるということ。海もら山も、魔物も生き物も人々も。みーんな消えて、アワになる。

と、いう話だ。この「みーんな消えて、アワになる。」ということが、夢をみる島全体に、何だか切なさを感じさせる。

 

が!

この切なさは、「目が覚めたら夢は消える」という前提のもとに成り立っている。ゲームの生き物たちも、「目が覚めたら我らは消える」と言っている。しかして、果たしてそうなのだろうか?

 

夢は消えるのか?

 

そもそも夢とは何ぞや。脳みそが記憶を調整しているだとか、色々言われているけれど、結局のところ誰にも分かっていないと思う。

私が夢で一番疑問なのは、「なぜ忘れるのか?」というところ。

 

どんな夢だったか、清明に覚えている人はいないと思う。そりゃあ、追いかけられる夢だとか、芸能人と話している夢だとか、一部、ところどころ覚えているところはある。でも、実際夢を見始めた最初から、目覚める直前の最後まで、事細かく説明出来る人は、いないと思う。

なぜ?

疑問だ。

一応、ここは疑問で終わらせておく。

 

で、私が夢の世界をどう仮定しているのかというと、実際に実在する世界なのではないか、だ。

話はぶっ飛ぶが宇宙は広く、地球以外にもたーっくさんの星がある。宇宙の広さからしてみれば、太陽などちっぽけなもんで、地球など本当に、ありふれまくった存在なのだ。それは空を見上げると輝く星を見れば一目瞭然で、なので宇宙人というか、生命体は、地球以外にも絶対にいると私は思っている。

「生命体」をどう定義するかにもよるけど。

そもそも人間が見える世界というのは、地球上にしても、我々の身近な世界においても、ごく限られている。自分の体の毛穴ひとつひとつも肉眼で見られないのだ。人間が見えているもの以外存在しないと決めつけるのは、あまりにセンスがないと思う。

言いたいことは、私たちが想像も出来ないような世界が、いーっぱいあるのではないか?と、いうことだ。

そして、夢というのは、その世界を見ている、もしくは実際に、その世界へ意識だけが行っているのではないか?ということだ。

 

ぶっちゃけ、地球のことも、分かっていない。「地球は丸い」のは常識だが、人間以外から見ると地球は丸くないかもしれない。それこそ水素や炭素などの素粒子さんたちから見たら、そもそも地球は存在しないのかもしれない。

 

とにかく、人間が見える、感じる、聞こえるものが、全てではないのだ。人間が考えることが全てではないし、想像しうることが全てではないのだ。と、思う。だから、あの不思議に溢れた夢の世界が、人間の脳みそたったひとつが作りだしたもので、たったひとり目覚めただけで、消えてしまう、というのはどうにも信じがたい!というのが、私の考えていること。

 

眠りについたとき、肉体はとりあえずそこにいるが、肉体以外のなにかはフワフワ〜っとどこかへ行っている。地球以外でもいいし、お布団の繊維の中でもいいし、雲の中でもいい。そこに私がいなくても、私に見えるかもしれないし、もしかしたらたくさんいる私のひとりかもしれない。今を生きる私とそっくりの世界があるかもしれないし、あのときああしていれば…という別の道を生きる私の世界があるかもしれない。となれば私自身も実は、誰かの夢なのかもしれない。

と考えだすと途方もない、答えのない空想が続くので、夢をみる島の話に戻る。

 

目が覚めたリンクくんは再び漂流。コホリント島はあったかなかったか、よく分からない。目覚めの歌が聞こえてきて、空に「かぜのさかな」が現れる。

あれ、夢じゃなかったのかも?かぜのさかなはまたいつか、夢をみるのかも。

真エンディングでは、ヒロインである「マリン」が空で微笑み、カモメが飛んでいく。

マリンちゃんは結局なんだったのか?

夢だったのか?カモメとなったのか?そもそもカモメだったのか?それとも、どこかに居るのだろうか?

分からない。だって、夢が何かが、分からないから。

 

夢とは何ぞや?とは、おそらく一生分からない。多分、死ぬってなんぞや?くらい、分からない。でも、夢はやっぱり実在して、みーんな消えて、アワにならないでほしいなあ…というのが、夢をみる島をプレイして、思ったことであった。

 

 

ポリティカルマザー 見てきた

オーチャードホールの最後列で見てきました。事前情報は特になく、ただポリティカルマザーのことを調べるうちに、シェクター氏、ぜったいAOL見て決めたな!!とゆー印象くらいは持っていました。あと元々完成されたものにうえぴーという主人公を付け加える感じなのかな?と思っていました。つまりあまり出ないだろうなと思ってました。あと、うえぴーは踊らないんだなと思いました。そして、これは理解する舞台ではないんだろうなと思いました笑

 

とりあえず政治に…とかいう設定はガンガンに無視しているので悪しからず…

 

 

雰囲気は全体的に、ゼルダの伝説 ムジュラの仮面に出てくるイカーナ地方と、インサイドとゆーゲームに似ているなと思いました。つまり死者の国にしか思えませんでした。そしてダンサーはゾンビにしか見えませんでした。そして、うえぴーが「おめぇら死んだからってクヨクヨしてんじゃねーよ!」と叫んでいるようにしか見えませんでした。絶対、違うわ。

 

あのダンスがめちゃめちゃ独特で、だからそれがイカーナのゾンビにしか見えなかったんですよね。んでイカーナ城で踊ってるゾンビは元貴族?金持ち?とゆー設定があるらしいので、あ、この人たち元貴族かなって思っちゃったんですよね。それでなんか独特に踊ってるのかなって、思っちゃったんですよね。そしたら途中から、上半身だけガクガクっと動く感じが、インサイドに出てくる、主人公に付いてくるゾンビ?みたいな、心のない人形みたいなのがいるんですが、それに見えてきたんですよね。そしたら、あ、この人たち、心がないのかなあ、それでうえぴーの思い通りになっちゃってるのかなあって、思ったんですよね。なんかそーゆーバックグラウンドがある人形たちが、もがいている…とゆー風に捉えましたね。ぜったい、違うけど。

大体踊り始めたらイカーナのゾンビにしか見えませんでしたね。イカーナのゾンビは楽しそうだけどもう死んじゃってるし、光を浴びせると消えるので、切ないなあって、思ってたんですよね。なので全体的に切ねえなって、思いました。ダンサーのやっていることが、全部意味のないというか、もがき…に見えたんですよね。最初、切腹みたいなシーンあるしね。銃で撃たれるようなシーンもあるし。

だからなにか自分たちの住んでいる世界とは違う、裏側とゆーか、どこか違う場所の話のように思いましたね。死んだ人の国というか。

 

うえぴーは謎言語(ポリティカル語?)を叫んでいる。あの言葉のない感じ、個人的には好きですが、これは表現するのがムズイだろうなって、思いました。んでもそこで主張したいことが、AOLとかWorld Endとかの世界観に似てるのかなって思いました。World End見てないけど。AOLに繋がるところはとにかく今の状況をブッ壊してやろうぜ!!とゆーエネルギーに満ちているとゆーことですかね。とりあえず私の目には周りのダンサーは生気のないゾンビに見えているので、そう言った中でうえぴーが世界に殴り込みをかけるように叫びまくり、演説を繰り返すことで、ゾンビに何かしらエネルギーが与えられているような気がしました。

 

ホフェッシュカンパニーのダンスは全体的に脱力系とゆーか、ぐにゃぐにゃ系で、それが今度はインサイド感が出るんですよね、ちょっと、不気味で気持ち悪い感じ?うなだれて、みんなで同じ振りをするとことか、まさにインサイドのゾンビみたいでしたね。なのでそーゆーされるがまま系とゆーか、なるがまま系のゾンビちゃんたちと、うえぴーのアンタ喉大丈夫!?とゆー感じのシャウトのコントラスト感みたいなのが、よかったです。もともと他の国ではどういう風になっていたのかよく分からんけどよかった。が、ちょっと現代感はあるな…とか思っていました。

ら!

最後の最後、めちゃめちゃミーハーな、ミス●ルみたいなメロディーが流れてきて、何や?!何や?!となりました笑。もともとポリティカル語はなかった設定なのか?それにしても、今まで現代じゃない感出てたのに、急に現代感もりもり出てきて、あれはどういう意図があったのか分かりませんが、自分たちとは別の世界の話だと見ていた私は、いや、そこ歌詞出しちゃうのかよ!!具体的に言語にしちゃうのかよ!!ってすげー思いました。そしたら終わってしまいました笑

まあ、英語になったところで私は分からないんですが。

 

シェクター氏はうえぴーのことをカリスマ性があってよいと褒めてくれたみたいなので、日本公演だけと言わず今度はガッツリツアーに入れてもらいたいです。いや無理だけど。なんか世界観に合ってるなと思いました。

 

でもあのダンス、体柔らかくないと無理そうだわ。

 

 

 

 

 

青い瞳みてきた そのニ

青い瞳見てきました。2回目です。ちなみに前回見たのは2週間くらい前なので、いい感じに記憶もなくなり、深い部分まで理解出来ず(浅い部分も理解出来ず)、何やら分からんな…という印象で、私の青い瞳ライフは終了しました。

そんなわけで私の思うサム。というより、もはやただの感想です。


やはりというか、何というか、サムはこの物語で孤独。誰とも密な接点がなくって、唯一の接点であったミチルとも別れてしまう…そんなサム。そんなサムが、ツトムの次に名前が連なるのがとても不思議でした。ジャニーズ補正かとも思いました。そんなサム。そして、日本人らしくない名前にも少し違和感。どこの国の方かと思えば、別にそのあたりは重要でない。名前でも浮く。そんなサム。
観劇しながら、「もしかしてサム=someという意味なんだろうか…?」という仮説を立ててみる。someone,someday,something。常に不特定な漠然としたものを表すsome。つまりサムは1人の人間として存在していなくて、あらゆるものの象徴的な存在ではないか…?と考えてみるも、特にそんな様子はなかったりして。そんなサム。難しいことは、分からない。

1幕では、グレードアップした他の役者さんに圧倒されているように思えました。台詞に説得力があって、迫力があって、問い詰めてくる、訴えかけてくる、そんな演技に圧されてるかんじ。サムは何だか未完成で、懸命についていくような感じ。その未熟さがとても繊細で、危うげ。確かなことがわからなくて、難しいことを考えて、色々なことが気になりすぎる。周りの人間に翻弄されているサム。コモリを蹴ったトシミツに対して、「トシミツ、お前は自分の意思でコモリを蹴ったんだ」と言うサム。でも果たしてきみは、トシミツにそんなことが言えるんだろうか?

2幕。
序盤、サムいい感じにネジが外れます。脳みそ、トンカチで叩かれたかな?って感じになる。絶妙にブッとんでいて、弾けていて、生き生きとしていました。頭おかしくなられてしまったね…っていうのがよく分かる。1幕は、まあまあマトモそうに見えたんですが、2幕はただの変人。2週間前のサムは言動が理解不能でしたが、今のサムは言動が変人。何かを意図して発言・行動している、それが何を意図しているのか分からない…のではなく、根本から何かおかしくなってなんかもうとりあえずこいつおかしい!っていう感じ。何が彼をそうさせたかは置いといて、もうこの「こいつおかしい!」演技はピカピカに磨かれていて、いっそ清々しい気持ちになりました。でもサム、なにがきみをそこまでさせたか、私には分からない…。

そして、ミチルと別れるサム。ミチルは、もしかしたらサムとコモリと3人でいた、その時間を愛していたのかも。ミチルが望んでいたのは青春。望んでいた青春は悲劇を生んだけれど、青春は訪れた。ちゃんと恋をしたから。サムという男に恋をしたから。だからミチルは間違っていなかった。という筋道のために、サムは利用されていたのかも。
はじめに、サムは「ツトムが自分をミチルの恋人として適役かどうか品定めに来たと思ったが、自惚れだった」と言います。いわゆる、思い過ごし。そして今回も、サムはミチルと愛し合っていて、コモリと3人でなくっても、2人でもお互いの名前を呼び合って存在を確かめ合うことが、幸せだと思っていたけど、それも、思い過ごし。結局、サムをゼロから作ってくれる人は誰もいない。
つらい!サム、つらい!そんな自分を「笑っているんだ」と言いつつ、泣くサム。つらい!サムつらい!社会から浮きつつも、ゼロになりつつも、自身を作ってくれる他人がたくさんいるツトムとは違って、サムには誰もいない。つらい!つらいよサム!

川を渡ったあの時から、別の時間が始まった。別の物語が始まった。自身は、物語の登場人物に過ぎない。誰かの物語を構成する人物に過ぎないサム。(やはりsomeだったか…?!と、うっすら思う)

サムが孤独な一方で、ミチルもまた孤独だと思いました。だからあの2人にはずっと恋人でいて欲しかった。ミチルは「いいわね、3人って」って言ってたけど…。みんながばらばらになってしまって、みんなが孤独になってしまった。平和な方へ来たはずなのに。失ったすぎた時間の中で、「サムという男に恋をした」ということだけは、確かなものにしておきたかったのかな。でもミチルは一番純粋で、誰にも流されない自己を持っている人物だと思いました。髪の毛を赤くしたのは、きっと誰かに助けて欲しかった。


とにかく、2幕の序盤の訳わからないことを話すサム、生き生きしていて本当にすごかった!1幕で少し圧されていた印象もあって、その野暮ったい演技から一転したかんじがとてもいい!きみはもっと狂うべきだよ…とか思いました。上田くんは、狂ってきたりネジ外れたりしてからが真骨頂なんですかね。本当にすごい印象的!今はまさに発   狂!というかんじですが、狂い方は様々。狂気は様々。いろんな狂気を得て、演じてほしいです。個人的には、2週間前のもうこの世を呪ってやるみたいな勢いの「かなしい、かなしい、かなしい」の言い方が好きでした。今回は、ただただ発狂されてました。

そして、アライさん!アライさんの演技が、ツトム化しているなーと思いました。もっとクールで落ち着いていて、大人びた人物だと思っていたのですが、感情の起伏が激しくて、演技や仕草がオーバーになっていた印象。他人を見下していると感じたのですが、今回はチャラ度が増していました笑

全体的にみんなワァワァギャアギャア叫ぶ中、大声を出しつつも落ち着きのあったのが蘭ママでした。舞台はいつも不安定な人物で溢れていて、こっちまで頭おかしくなってしまいそう、そんなとき優しく現れるのが母さんでした。ツトムに優しく接するときも、父さんに叱るときも、タカシマさんに女性らしく話すときも、高笑いするときも。お母さん独特の優しさとか、力強さを感じました。戦争を引き起こすのは、お母さんなのかもしれない。それくらい、母という存在は力を持っていると思いました。




良い演技とは?役になりきるとは?2週間前に比べて、役者さんが力強く大きな声で叫ぶときが多くなった気がします。抑揚があることは分かりやすくていいのですが、少しワンパターンさを感じました。淡々とした台詞の中にも、キャラクターというのは存在するのではないかな。舞台をたくさん見ているわけではありませんが、そんなことを思いました。なので心無いことをいうと、2週間前の舞台のほうが好きでした笑。まあ、初見補正かもしれませんが。でも、行ける機会があればもう一度行こうかなと思っていましたが、まあいいかと思ったり。そんな、青い瞳でございました。

青い瞳みてきた

はじめに。
サムのことしか語っていません。
あとセリフとかいろいろ違うとことか、あります。



青い瞳を見てきました。難解、難解とは聞きつつ、難解って何だよ!とか思いつつ、ただ話は分からずとも、上田くん演じるサムのことだけは分かってあげよう。とそんな気持ちで挑んできました。
とはいえサムのことを分かるためには物語全体のことをぼんやり分かっていなければなるまい。そんなわけで、開演2時間前にシアターコクーンへ行き、パンフレットを買い、熟読し、公演に臨もうという作戦。もちろんパンフレットは開場してからでないと買えないので、この作戦はあえなく失敗しました(開場しないと買えないって知らなかった)。そんなポンコツな私です。



まあそんな感じで開演。
ツトムと、アライと、カオル。つけていたとかつけていないとか。カオル色っぽすぎてすぐ虜になる(私が)。とか思ってたらサム登場。
なんかいきなり語り始める。
とりあえずこれはモノローグだったわけですが、
一言一句理解出来ずに終わる。

初めの一言から「?」
次々出てくる言葉にも「??」
最終的にも「???」

結局何が言いたかったの?とかではなくて、
何言ってるの??という感じです。まじ理解不能。まあ、進むにつれて分かってくるでしょう。と思っていましたが、最後までこの感じは拭えず。すまんサム。きみのことが一番理解出来なかった。

サムはチョイチョイ「おまえ、何言ってるんだ?」「おまえ、何してるんだ?」と言われます。言動が理解不能。そういう役じゃないんでしょうけど、だからこそ理解不能。もっと言うと、登場人物との関係性も不明。もしかして、要らないんじゃないかと思うほど薄くて見えて来なくって、宙ぶらりんの状態です。
もがく青年といえばその通りなのですが、何が彼をそうさせているのか…何に悩む必要があるのか?何にもがく必要があるのか?きっとそれは、物語のあらゆるところへ散りばめられているのでしょう。でもそんなもん初見じゃ分からんわ!真実、時間、きみは色んなものを深く考えすぎです。めんどくせーわ笑

ツトムやブランコを巡って様々なことが起こるのですが、その全てをサムは遠くから眺めていたような印象を受けました。でも、ただ傍観していたわけではなくて、ひとつひとつの出来事で何かを感じていたのでしょう。たぶん。でも何かを感じていると、サム自身も分かっていなかったのではないかな?自分はあくまで中立的な立場にいると、思っていたのではないかと。もがき、苦しんでいるけれど、それはあくまで外の世界でしていると思っていたのではないかと。でも、クライマックスでそうではないとツトムに指摘される。排除してきたのはきみ。コモリを排除しようとしたのも、きみ。なんでツトムを撃ったのか分かんないけど、ツトムを撃つべきはサムだったのかも。怨みがあったとか、妬みがあったとかは分かんないけど、ツトムを殺すべきは、サムだったのかも。筋道。ここのシーンでサラッと流されましたが、警官を撃とうとしたサムを止めようとしたツトムはもっと掘り下げるべきだと思いました。


まあそんな単純な話じゃないんでしょう。私には到底理解出来ません笑。嘘や本当はないけど、真実はひとつじゃなくてたくさんあって、嘘だってついた瞬間から真実になって、でも、「サム」「ミチル」と呼び合って、お互いがそこにいる、と確かめ合う、そういう時間はきっといる。自身はゼロで、白紙で、誰かがいないと自分自身が作られない。でもサムにはサムを作ってくれるほど、深く関わってくれる誰かが、いなかったかも。うん、分からん。孤独な人間だったかも。平和を望んでいながら、なぜ平和を望んでいるのか分かっていなかったかな。うん、分からん笑。




ちなみにあっちゃんの演技を見るのは初めてだったのですが、小悪魔的な魅力が爆発した、怪奇的な演技がとっても良かったです!たくさんの人を魅了して、地獄へ突き落とすような子。自分だけが幸せになって、それのなにがいけないの?っていう子。ミチルちゃん、そういう子。そういう子がぴったり合ってた。かわいかった。序盤らへん「じゃあ聞いていい?」ってサムに問いかけたときの声、すごく良かった。

そして上田くん。演技を見るのは永遠の0以来で、舞台を観るのは初めてです。(冬眠熊は観ていない)
正直上田くんの演技はオーバーすぎというか演技!!ってとこが好きではなくて、でも舞台ではとっても映える!歌をうたうときもですけど、全身全霊で一言一言発して表現するものが、とんでもなくステージから伝わってくる!役になりきって、表現したい!伝えたい!という演技が、ドラマや映画より舞台の方が向いている気がしました。

渋谷の片隅でそうした演技をしている上田くんを見れて良かった。役者がどういうものか、舞台がどういうものか、そんなことは分かりませんけど。舞台役者としてこうあるべき。役者としてこうあるべき。そんなことは分かりません。でも一人の役者として、物語を構成する人物として、ステージに立つ上田くんが見れて良かった。今のとこ言えるのはそんなものです。サムはとても凛々しくて、魅力的な人物だと思いました。これから一カ月、もっともっと魅力的にしてくれることでしょう!またその頃に見に行きます!がんばれうえだ!がんばれサム!!◝(⁰▿⁰)◜